判断のできない子どもたち
「先生、これで合っていますか?」
「どっちを選べばいいですか?」
「え、今のって判断合ってたのかな?」
子どもたちを指導していると、こうした質問を受けることがあります。
もちろん、わからないことを質問するのは悪いことではありません。
ただ、私が気になるのは、自分で考えたり判断したりする前に、誰かに正解を決めてもらおうとする子どもたちがいることです。
そして、これは子どもたち自身の問題というよりも、これまで受けてきた教育や周囲の環境が影響しているのではないかと考えています。
今回は、そんな「自分で判断する力」と、その判断の基準となる「アイデンティティ」についてお話ししたいと思います。
目次
世の中には、正解のない問題の方が多い
学校で学ぶ勉強には、基本的に正解が用意されています。
数学の問題には答えがあり、テストではその答えにたどり着けたかどうかで評価されます。
もちろん、言われたことをきちんとできたり、ルールに従って行動したりすることも非常に重要です。
勉強であれば、教わった方法を使って正しく問題を解くこと。
スポーツであれば、指導者から教わったプレーを着実に実行すること。
こうした能力は、学校生活だけでなく、社会に出てからも必要になります。
しかし、社会に出てから直面する問題は、いったいどのようなものが多いでしょうか。
「どんな仕事に就くべきか」
「安定した環境に残るべきか、新しいことに挑戦するべきか」
「周囲の意見に合わせるべきか、自分の考えを貫くべきか」
こうした問題には、誰にとっても共通する正解があるわけではありません。
それどころか、選択した時点では、その判断が正しかったのかどうかさえわからないこともあります。
つまり、世の中には、用意された正解を見つける問題だけでなく、自分自身で答えを決めなければならない問題が数多く存在するということです。
ところが、学校生活の中で「正解にたどり着けたかどうか」を中心に評価されてきた子どもたちは、正解が用意されていない問題に直面したとき、自分の判断に自信を持てなくなることがあるのではないでしょうか。
正解がないなら、何を基準に判断するのか?
では、正解のない問題に直面したとき、私たちは何を基準に判断すればよいのでしょうか。
私は、その基準の一つが、
「自分はどういう人間でありたいのか」
ということだと考えています。
例えば、目の前に2つの選択肢があったとします。
一つは、楽だけれど自分の成長にはつながりにくい選択。
もう一つは、大変だけれど自分の成長につながる可能性がある選択。
このとき、「自分は常に挑戦し続ける人間でありたい」という理想を持っているのであれば、後者を選ぶ理由が生まれます。
一方で、「今は友達と楽しい時間を過ごすことが何よりも大切だ」「友達と遊んだり、ゲームをしたりする時間を優先したい」という価値観を持っているのであれば、別の選択をするかもしれません。
どちらが絶対的に正しいというわけではありません。
重要なのは、自分がどうありたいのかという基準に対して、その行動が適しているのか、適していないのかを考えることです。
他人にとっての正解が、自分にとっての正解とは限りません。
だからこそ、自分自身の判断基準を持つ必要があるのです。
「友達がそう言ったから」で、自分の人生を決めるのか?
子どもたちを指導していると、こんな言葉を耳にすることがあります。
「友達がやっているから」
「友達がいいって言っていたから」
「みんながそうしているから」
もちろん、友達の意見を参考にすること自体は悪いことではありません。
しかし、友達の意見を参考にすることと、友達の判断に自分の人生を委ねることは、まったく違います。
例えば、本当は挑戦したいことがあるのに、友達がやらないから自分もやらない。
本当は努力したいのに、周囲から「そんなに頑張ってどうするの?」と言われたからやめてしまう。
本当は自分の目標に向かって行動したいのに、仲間外れにされるのが怖くて周囲に合わせてしまう。
それで本当にいいのでしょうか。
少し厳しいことを言うかもしれませんが、私はこう思います。
その友達は、あなたの人生に最後まで責任を持ってくれるのでしょうか。
小学校、中学校、高校で一緒に過ごした友達と、大人になっても同じ環境で、同じ仕事をして、ずっと一緒に人生を歩んでいくとは限りません。
むしろ、進学や就職、転居などによって、それぞれが別々の人生を歩んでいくことの方が多いでしょう。
もちろん、大人になっても続く大切な友情はあります。
しかし、今一緒にいる友達が、これから先もずっと同じ場所にいてくれる保証はありません。
それなのに、今の友達の意見や評価だけで、自分の将来につながる選択を決めてしまっていいのでしょうか。
友達がどうしたいかではなく、自分はどうしたいのか。
友達が何を目指しているかではなく、自分は何を目指しているのか。
自分の人生なのだから、判断の中心に置くべきなのは、友達の価値観ではなく、自分自身の価値観ではないでしょうか。
仲間外れを恐れて、自分の可能性を狭める必要はない
もちろん、子どもたちにとって、友達との関係は非常に大きなものです。
学校という限られた環境の中では、周囲からどう思われるか、仲間外れにされないかという不安もあるでしょう。
その気持ちは理解できます。
しかし、だからといって、自分の目標や価値観を捨ててまで周囲に合わせる必要があるのでしょうか。
例えば、自分の目標に向かって一生懸命努力している人を見て、
「そんなに頑張るなよ」
「お前だけ真面目にやるなよ」
と否定する人がいたとします。
あるいは、自分たちと違う行動を取ったという理由だけで、仲間外れにしようとする人がいたとします。
私は、そんな人たちの評価に、自分の人生を左右される必要はないと思っています。
自分の目標に向かって努力することを否定し、周囲に合わせないという理由だけで排除しようとする人間関係に、無理をしてまで居続ける必要はありません。
むしろ、自分の信念を持ち、自分の目標に向かって行動している人の方が、私はかっこいいと思います。
そして、ここでもう一つ伝えたいことがあります。
それは、自分が変われば、周囲の人間関係も変わっていく可能性があるということです。
こういう話をすると、よくスピリチュアルの世界で言われる「引き寄せの法則」のように聞こえるかもしれません。
しかし、私が言いたいのは、そういう話ではありません。
例えば、自分の競技力をもっと高めたいと思った選手がいたとします。
その選手は、より質の高い練習ができる環境や、同じように高い目標を持つ選手がいる環境を選ぼうとするでしょう。
では、その環境には、どのような人が集まるでしょうか。
当然、同じように競技力を高めたいと考えて、その環境を選んだ人たちもいるはずです。
つまり、同じような目的を持った人たちが、それぞれの意思で同じような環境を選ぶことで、結果として出会う機会が増えるということです。
別に、人と人が不思議な力で引き寄せ合っているわけではありません。
自分が目指す姿によって選ぶ環境が変わり、その環境に集まる人たちとの接点が増える。
ただ、それだけの話です。
だからこそ、自分がどういう人間でありたいのかを明確にすることは、人間関係を考えるうえでも重要なのだと思います。
今いる友達に合わせるために、自分の目標を諦める必要はありません。
自分が目指す姿に近づくための環境を、自分自身で選べばいいのです。
そして、その環境には、同じように自分を高めようとしている人たちがいるかもしれません。
私は、周囲から嫌われないために自分の可能性を狭めるよりも、自分の目標に向かって行動し、互いに高め合える仲間と出会うことの方が、よほど価値のあることだと思っています。
自分の判断基準があれば、環境を選ぶ力も育つ
私は、この考え方を学生のうちから身につけることには、大きな意味があると思っています。
なぜなら、自分がどうありたいのかが明確になると、自分がどんな環境に身を置くべきなのかも判断しやすくなるからです。
例えば、「もっと競技力を高めたい」と考えている選手がいたとします。
その選手にとって重要なのは、単に仲の良い友達がいるチームを選ぶことなのでしょうか。
それとも、自分の目標に向かって努力できる環境や、成長を支えてくれる指導者、互いに高め合える仲間がいるチームを選ぶことなのでしょうか。
もちろん、友達との時間を大切にすることも、一つの価値観です。
しかし、本当に競技力を高めたいのであれば、その目標に適した環境を選ぶ必要があります。
これは、勉強でも仕事でも同じです。
自分の目標や価値観が明確になれば、
「この環境は、自分の目指す姿に近づける場所なのか」
「この人間関係は、自分にとってプラスになっているのか」
「今の行動は、自分の理想につながっているのか」
と考えられるようになります。
つまり、自分のありたい姿が明確になることで、自分にとって必要な環境や人間関係を見極める判断基準が生まれるのです。
大人になってから、周囲に流されて選択してきたことを後悔する人もいるでしょう。
だからこそ、学生のうちから、自分自身の価値観に基づいて判断する経験を積んでほしいと思っています。
あなたのアイデンティティは、誰が決めたものですか?
ここで、もう一つ考えてほしいことがあります。
それは、そもそも「自分はこういう人間だ」という認識を、誰が決めているのかということです。
例えば、子どもの頃から、
「あなたは運動が苦手だから」
「あなたは勉強ができる子だから」
「あなたは大人しい性格だから」
「あなたはリーダーには向いていないから」
と言われ続けたら、どうなるでしょうか。
最初は周囲の人間からの評価だったものが、いつの間にか自分自身の認識になってしまうことがあります。
そして、その認識を基準に、自分の行動や選択肢まで決めてしまう。
「自分は運動が苦手だから、スポーツには挑戦しない」
「自分は人前に出るタイプではないから、リーダーにはならない」
本当にそうなのでしょうか。
それは、自分自身が望んで決めた姿なのでしょうか。
それとも、周囲から言われ続けたことで、そう思い込んでいるだけなのでしょうか。
私は、ここに教育の大きな課題があると考えています。
もちろん、自分がどんな人間なのかを知るうえで、周囲からの評価や意見は参考になります。
しかし、他人からの評価と、自分がどうありたいかは、必ずしも一致するものではありません。
今の自分がどう評価されているかと、これからどんな自分になりたいかは、別の話です。
だからこそ、他人から与えられたアイデンティティをそのまま受け入れるのではなく、自分自身で「どうありたいのか」を考えることが重要なのです。
「どうなりたいかわからない」という子どもたち
とはいえ、子どもたちに、
「あなたはどういう人間になりたいの?」
と聞いても、すぐに答えられるとは限りません。
それも当然だと思います。
まだ経験していないことも、知らない世界もたくさんあるからです。
だからこそ、私は指導者や保護者の役割が重要になると考えています。
「あなたはこういう子だから、これをやりなさい」
と決めつけるのではなく、
「どんな人になりたい?」
「どんなときの自分が好き?」
「どんなことができるようになったら嬉しい?」
「どんな人をかっこいいと思う?」
こうした問いかけを通じて、子ども自身が自分の価値観に気づけるように支援すること。
そして、実際に行動して、経験して、考えを修正していくこと。
最初から明確な理想像を持っている必要はありません。
むしろ、行動する中で「自分はこうありたい」という考えが変わっていくこともあるでしょう。
大切なのは、自分のありたい姿を、他人任せにせず、自分自身で考え続けることだと思います。
自分で判断することと、正しく判断することは違う
ただし、一つ注意しておきたいことがあります。
それは、自分の価値観に従って判断したからといって、その判断が必ず良い結果につながるわけではないということです。
例えば、「挑戦する人間でありたい」という理想があったとしても、何の準備もせずに無謀な挑戦を繰り返していては、望む結果につながらないかもしれません。
だからこそ、判断するときには、
- 自分はどうありたいのか
- 現実にはどのような状況なのか
- その選択によって、どのような結果が予想されるのか
を考える必要があります。
そして、実際に行動した結果を振り返り、必要であれば判断基準や行動を修正する。
つまり、自分の価値観を持つことと、現実を客観的に捉えることの両方が必要なのです。
正解のない問題に対して、自分で判断し、行動し、結果から学ぶ。
この経験の積み重ねが、判断する力を育てていくのだと思います。
子どもたちに必要なのは、正解を教えてもらうことだけではない
私は、学校で正しい知識を学ぶことや、正解のある問題を解くことを否定したいわけではありません。
むしろ、それらは社会で判断するための重要な土台になります。
ただ、それだけでは足りないのではないかということです。
社会には、誰かが正解を用意してくれるとは限らない問題がたくさんあります。
そんなとき、周囲の人間に正解を求め続けるのではなく、自分自身の価値観と現実の状況を照らし合わせながら、判断できる人間になってほしい。
そして、私たち大人も、子どもたちに対して、
「あなたはこういう人間だ」
と決めつけるのではなく、
「あなたはどういう人間でありたいのか」
を一緒に考える存在でありたいと思います。
正解を知っていることと、自分で答えを出せることは違います。
友達がどうするかではなく、自分はどうしたいのか。
周囲からどう評価されるかではなく、自分はどういう人間でありたいのか。
その判断基準を持つことが、自分の人生を自分で選ぶための第一歩になるのではないでしょうか。
参考文献
- Deci, E. L., & Ryan, R. M. (2000). The “What” and “Why” of Goal Pursuits: Human Needs and the Self-Determination of Behavior. Psychological Inquiry, 11(4), 227–268.
- Marcia, J. E. (1966). Development and validation of ego-identity status. Journal of Personality and Social Psychology, 3(5), 551–558.
- McPherson, M., Smith-Lovin, L., & Cook, J. M. (2001). Birds of a Feather: Homophily in Social Networks. Annual Review of Sociology, 27, 415–444.